バウ観劇記
2003年9月12日 12日から15日までバウ観劇してまいりました。
「なみだ橋えがお橋」
ふふふ、今回初日からの合計9観劇!
ついうっかりチケットが取れたので、燃えたわあ。(けど、もっと燃えてるお友達は東京公演まで追っかけるので、バウ公演しか追っかけない私はぬるいファンなのです)
・・・原作落語なのにな・・・。
9回観てて色々思ったのですが。
これって、原作落語で宝塚らしくないなって思ってたけれど、それ以上に谷正純作品らしくないんじゃないかな。
谷と言えば皆殺しの谷。
クライマックスにはほとんど全員死んじゃうのが谷作品のお約束。
死なせて泣かせてこその谷。
だけど、それって、谷作品が「設定もの」だからだ。
かっこいい主人公。
常に主人公のタイプは同じだから、きっと谷先生の理想の男なんだよね。
その主人公の男気にほれる男。
(それ、もう友情じゃなくて恋だからってやつね)
谷作品で大事なのは、これだけって言って過言じゃないと思う。
ただただ、どれほど主人公がかっこいいかってのを描くのに力をこめている。
で、登場人物が死ぬのは主人公のため。
主人公は他人から命を捧げられるほどにすばらしいと表現するために、主人公以外の人間は死んでいく。
ばったばったと人が死ぬ場面ってのは必然的にクライマックスになる。
主人公のかっこよさと、主人公に心酔する人間達を描いて、クライマックスは皆殺し。
それが谷作品のお約束。
つまり、谷先生が描きたいのは設定。
いかに主人公がかっこいいかの設定。
谷作品は設定もの、だよね?
設定を描いているよね、いつも。
でも、なみだ橋えがお橋はちがったのだ。
主人公がかっこよくないとか、誰も死なないとかではなくて。
話を描いていたのだ!
物語りを構成していたのだ!
設定ではなくて、話を描いていたのだ、谷作品なのに!
うわー。
私、谷作品でストーリー構成してるの初めてみたよ。
そんなおおげさにストーリー構成なんていうのもなんですが、ちゃんとキャラクターそれぞれのストーリーが絡みあって構成されていたじゃないですか。
まとまってたじゃないですか。
それって谷作品では珍しくない?
私は初めてみたよ?
ていうか、ストーリー構成できたんだ、谷先生・・・・・・・・。
できるんなら、常にしてよ・・・。
いつもの、設定描いて、クライマックスで皆殺しだけにせずに、これだけストーリー構成ができるんなら、日頃の皆殺し作品もストーリー構成してよおおおお。
うわあああんん。
谷先生はストーリー構成できないんだって思ってあきらめていたけれど、できるんならしてほしいよう。
谷作品らしくない谷作品で、私は谷先生を見直しました。
・・・けど、別にストーリー構成してなくていいから、いつもの谷作品の方が好きだけどな。
どうしようもないストーリーでも、激しい男の恥ずかしい友情の方が、私の心は燃えるのよ。
面白くても宝塚らしくない宝塚よりは、つまんなくても宝塚らしい宝塚が観たいって気持ちと似てるかなあ。
邪魔にならないようにって言うか、目立たないように隅っこでやってる芝居がけっこうよかったです。
喜瀬川と卯兵衛のやりとりの場面、最初の観劇はこの二人しか観てません。
けど、一度みて、喜瀬川と十六夜の関係を知った後で、同じ場面で今度は十六夜を観てると「ああなるほどな」って芝居をしています。
二幕でいきなり女達が踊ってるのはなんでだろう?と思ってたんですが、はしっこの男に注目してるとセリフでは言ってないんだけど口の動きで「まつりだ」「まつりかあ」みたいな事言ってます。
そうか、祭りで踊ってたのか。
とかとか。
リピーターを狙っての演出か?
一度の観劇では、芝居の中心から外れた位置には視線はいかないから、そういうの楽しもうと思ったら通うしかないもんね。
けど、谷先生がそんなオタクリピーター向けの演出をするとはなんだか思えないから、偶然かなあ。
ほとんどのキャストが芝居心のある上級生で、マナーとして芝居の中心の邪魔をしないように小芝居した結果として、
「あっこんな事してたんだ〜〜」
になったのかなあ。
これがあるから、3回目観劇くらいまでは、楽しかったです。
宝塚ホモ友達の井川さんに
「ガタが来てなかったら、千代田卜斎って25両のカタに高木左太夫に売られてたのかしら」
と話をふったら
「うん、そうね。
私はてっきり、父親が25両のカタに売られる話だったのか、おっし!!と思ったわ」
と返事が来ました。
やはりヤオイスキーたるもの、目のつけどころは同じでしょうか。(今回他にホモいないしな)
金のカタに楠っちがリュウ様お買い上げ。
うわあ〜〜〜
いいわああ〜〜〜
ちがってたけどな。ち。
でも、割れアゴ化粧をしていても、リュウ様は色っぽくてよかったですな〜〜
ここまで書いて眠くてたまらなくなったので、バウ観劇記はまた後日。
「なみだ橋えがお橋」
ふふふ、今回初日からの合計9観劇!
ついうっかりチケットが取れたので、燃えたわあ。(けど、もっと燃えてるお友達は東京公演まで追っかけるので、バウ公演しか追っかけない私はぬるいファンなのです)
・・・原作落語なのにな・・・。
9回観てて色々思ったのですが。
これって、原作落語で宝塚らしくないなって思ってたけれど、それ以上に谷正純作品らしくないんじゃないかな。
谷と言えば皆殺しの谷。
クライマックスにはほとんど全員死んじゃうのが谷作品のお約束。
死なせて泣かせてこその谷。
だけど、それって、谷作品が「設定もの」だからだ。
かっこいい主人公。
常に主人公のタイプは同じだから、きっと谷先生の理想の男なんだよね。
その主人公の男気にほれる男。
(それ、もう友情じゃなくて恋だからってやつね)
谷作品で大事なのは、これだけって言って過言じゃないと思う。
ただただ、どれほど主人公がかっこいいかってのを描くのに力をこめている。
で、登場人物が死ぬのは主人公のため。
主人公は他人から命を捧げられるほどにすばらしいと表現するために、主人公以外の人間は死んでいく。
ばったばったと人が死ぬ場面ってのは必然的にクライマックスになる。
主人公のかっこよさと、主人公に心酔する人間達を描いて、クライマックスは皆殺し。
それが谷作品のお約束。
つまり、谷先生が描きたいのは設定。
いかに主人公がかっこいいかの設定。
谷作品は設定もの、だよね?
設定を描いているよね、いつも。
でも、なみだ橋えがお橋はちがったのだ。
主人公がかっこよくないとか、誰も死なないとかではなくて。
話を描いていたのだ!
物語りを構成していたのだ!
設定ではなくて、話を描いていたのだ、谷作品なのに!
うわー。
私、谷作品でストーリー構成してるの初めてみたよ。
そんなおおげさにストーリー構成なんていうのもなんですが、ちゃんとキャラクターそれぞれのストーリーが絡みあって構成されていたじゃないですか。
まとまってたじゃないですか。
それって谷作品では珍しくない?
私は初めてみたよ?
ていうか、ストーリー構成できたんだ、谷先生・・・・・・・・。
できるんなら、常にしてよ・・・。
いつもの、設定描いて、クライマックスで皆殺しだけにせずに、これだけストーリー構成ができるんなら、日頃の皆殺し作品もストーリー構成してよおおおお。
うわあああんん。
谷先生はストーリー構成できないんだって思ってあきらめていたけれど、できるんならしてほしいよう。
谷作品らしくない谷作品で、私は谷先生を見直しました。
・・・けど、別にストーリー構成してなくていいから、いつもの谷作品の方が好きだけどな。
どうしようもないストーリーでも、激しい男の恥ずかしい友情の方が、私の心は燃えるのよ。
面白くても宝塚らしくない宝塚よりは、つまんなくても宝塚らしい宝塚が観たいって気持ちと似てるかなあ。
邪魔にならないようにって言うか、目立たないように隅っこでやってる芝居がけっこうよかったです。
喜瀬川と卯兵衛のやりとりの場面、最初の観劇はこの二人しか観てません。
けど、一度みて、喜瀬川と十六夜の関係を知った後で、同じ場面で今度は十六夜を観てると「ああなるほどな」って芝居をしています。
二幕でいきなり女達が踊ってるのはなんでだろう?と思ってたんですが、はしっこの男に注目してるとセリフでは言ってないんだけど口の動きで「まつりだ」「まつりかあ」みたいな事言ってます。
そうか、祭りで踊ってたのか。
とかとか。
リピーターを狙っての演出か?
一度の観劇では、芝居の中心から外れた位置には視線はいかないから、そういうの楽しもうと思ったら通うしかないもんね。
けど、谷先生がそんなオタクリピーター向けの演出をするとはなんだか思えないから、偶然かなあ。
ほとんどのキャストが芝居心のある上級生で、マナーとして芝居の中心の邪魔をしないように小芝居した結果として、
「あっこんな事してたんだ〜〜」
になったのかなあ。
これがあるから、3回目観劇くらいまでは、楽しかったです。
宝塚ホモ友達の井川さんに
「ガタが来てなかったら、千代田卜斎って25両のカタに高木左太夫に売られてたのかしら」
と話をふったら
「うん、そうね。
私はてっきり、父親が25両のカタに売られる話だったのか、おっし!!と思ったわ」
と返事が来ました。
やはりヤオイスキーたるもの、目のつけどころは同じでしょうか。(今回他にホモいないしな)
金のカタに楠っちがリュウ様お買い上げ。
うわあ〜〜〜
いいわああ〜〜〜
ちがってたけどな。ち。
でも、割れアゴ化粧をしていても、リュウ様は色っぽくてよかったですな〜〜
ここまで書いて眠くてたまらなくなったので、バウ観劇記はまた後日。
コメント