星組公演 ショー ドルチェ・ヴィータ!
2004年10月28日 宝塚 宝塚行って来ました。
よろよろ。
星大劇場公演と宙バウ観て来ました。
バウ、よかったよ。
語りたいけど、原稿出来てないのに宝塚行ってたんでまだ忙しいのだ。
そんで、1泊して3公演観て友達とデートしてて疲れてふらふらなのだ。
感想はまたアシスタントさんの来ない日にでも書こうと思います。
けど、けど、取りあえずオギーのショーについてだけはだらだら書いておきたい。
オギーのショーはメッセージも多重構造だし、受け取り手によって違うものを受け取りそうだ。
まして私は2回観て来ただけなんだけど。
だから、何度も観てる人とかと、受け取ったものは違うかもしれないんだけど。
書き留めておきたくてたまらないので、書いておきます。
ふらふら。
やっぱりオギーのショーはいいねえ。
星組公演 ショー ドルチェ・ヴィータ!
強い生き物の悲しい物語。
ディアボロ、悪魔と名のついた悲しい生き物。
彼はその名の示す程に強いが孤独な生き物。
彼は人間の男に想いを寄せる。
そして、恋した男の中に強い愛を探したんだ。
くり返す男との出会いは輪廻なのか、夢なのか。
ディアボロの化身美しい美女ドルチェ・ヴィータ。
ディアボロは幾度も男をみつけ、幾度もドルチェ・ヴィータを男の前に差し出す。
男はその度ドルチェ.ヴィータに恋をする。
ディアボロの化身に恋をする。
だけど、ダメなんだ。
男は弱すぎた。
何度出会って何度恋をしても、男はドルチェ・ヴィータとの恋をまっとうできない。
それは男が弱すぎたから。
男はドルチェ.ヴィータ無しで生きていけないほど彼女を愛してるのに、いつも恋人を見失う。
いつもドルチェ・ヴィータを見つける事ができるほど愛してるのに、いつもドルチェ・ヴィータを見失う。
そしてドルチェ・ヴィータは強すぎた。
彼女は男がいなくても強いから生きていける。
いつも見つけるのはドルチェ・ヴィータ。
男がいなくても生きていける強い女。
いつも見失うのは男。
彼女がいなくては生きていけない弱い男。
そう、強いのはディアボロ。
弱いのは男。
愛がなくても生きていけるのはディアボロ。
愛がなくては生きていけないのは男。
ならば、ディアボロは男の前から去ればいい。
何度もくり返しあらわれなくていい。
なのにディアボロはくり返しくり返し男を見つけ、その前に美しいドルチェ・ヴィータ己の化身を差し出し続ける。
いつか、男が強くなり、ドルチェ・ヴィータを男にとって必要な愛を見失わない日が来るのを願って。
何度も何度も、男が強くなるのを願って、姿をあらわす。
だけど、男が強くなる日は来ない。
ディアボロが欲しかったのはディアボロの愛にふさわしい強い男。
けれどディアボロの愛したのはディアボロの愛にそぐわない弱い男。
見た目に美しく強そうで、なのに愛を見失ってばかりいるうつけ者。
あきらめればいい、その男を。
必要のない男を。
欲しいのは強い愛。
なのに弱い男を愛したディアボロ。
ディアボロは強すぎて、人がいつまでも弱い事が理解できないんだろう。
いつまでも続くかなわぬ恋。
ディアボロは強すぎて、かなわぬ恋の辛さにも気付かない。
いつまでも続く何度もくり返される出会いと破局。
これはディアボロの悲しい物語。
だけどディアボロは最後に別の男をみつけた。
あれは、ただの気紛れか。
ちがう、ためしかたったのだ。
他の男の弱さを計る事で、己の恋した男ばかりが弱いのではないと。
別の男の前に姿をあらわすドルチェ.ヴィータ。
彼もまたドルチェ・ヴィータに目を奪われる。
当たり前だ。
ディアボロの化身、美しく強い女。
男がみんな虜になる女。
新たな獲物がドルチェ・ヴィータに目を奪われたすきに、ディアボロはみずから彼の可愛い恋人をたぶらかす。
彼もまたドルチェ・ヴィータの虜とするために。
そうだ、この男もドルチェ・ヴィータの虜にならなくてはならない。
男はみんな、弱くてドルチェ・ヴィータの虜にならなくてはならないのだ。
ディアボロの恋した男だけが弱いのでは悲しすぎる。
だから、男がみんな弱くて愚かならばいい。
男がみんな弱くて愚かなものならば、ディアボロの恋した男だけが弱かったのでなければいい。
お前も堕ちろ私のドルチェ・ヴィータの美しさに。
ディアボロは半ばこの新たな男もドルチェ・ヴィータに恋をして、そしてその恋を見失う弱い愚かな男だと確信している。
そう思いながらにこやかに、新たな獲物にその手を差し出す。
ディアボロは、なんと思ってその手を差し出したんだろう。
ドルチェ・ヴィータに心奪われた最初の男はドルチェ・ヴィータの影にいたディアボロには気付かなかった。
本当のドルチェ・ヴィータ=男を愛したディアボロの存在。
きっと、この新しい獲物も気付かない。
差し出した手にも気付かない。
そう思ったのに。
ディアボロは、この男も、自分に気付かないと思って手を差し出したのに。
手を握り返した。
この男は。
ドルチェ・ヴィータではなく、ドルチェ・ヴィータの奥にいる、ディアボロ自身を見つけて、手をとった。
そう、この男は強かったんだ。
本当の愛をディアボロを見つける事ができるほどに。
これで終わった。
もう、出会いも破局もくり返される事はない。
ディアボロは彼の愛にふさわしい男をみつけたんだ。
て、感じだったと思うんだけど。
どうかなあ。
でも私はこのショーはディアボロが主人公だと読んだんだけど、博多にはディアボロってキャラクターはいなかったそうなので、違うかもな。
オギーのショーなのに幸せに終わってたんで、今すっごい興奮してます。
すごいや、オギー。
幸せも表現できる人だったんだ。
よろよろ。
星大劇場公演と宙バウ観て来ました。
バウ、よかったよ。
語りたいけど、原稿出来てないのに宝塚行ってたんでまだ忙しいのだ。
そんで、1泊して3公演観て友達とデートしてて疲れてふらふらなのだ。
感想はまたアシスタントさんの来ない日にでも書こうと思います。
けど、けど、取りあえずオギーのショーについてだけはだらだら書いておきたい。
オギーのショーはメッセージも多重構造だし、受け取り手によって違うものを受け取りそうだ。
まして私は2回観て来ただけなんだけど。
だから、何度も観てる人とかと、受け取ったものは違うかもしれないんだけど。
書き留めておきたくてたまらないので、書いておきます。
ふらふら。
やっぱりオギーのショーはいいねえ。
星組公演 ショー ドルチェ・ヴィータ!
強い生き物の悲しい物語。
ディアボロ、悪魔と名のついた悲しい生き物。
彼はその名の示す程に強いが孤独な生き物。
彼は人間の男に想いを寄せる。
そして、恋した男の中に強い愛を探したんだ。
くり返す男との出会いは輪廻なのか、夢なのか。
ディアボロの化身美しい美女ドルチェ・ヴィータ。
ディアボロは幾度も男をみつけ、幾度もドルチェ・ヴィータを男の前に差し出す。
男はその度ドルチェ.ヴィータに恋をする。
ディアボロの化身に恋をする。
だけど、ダメなんだ。
男は弱すぎた。
何度出会って何度恋をしても、男はドルチェ・ヴィータとの恋をまっとうできない。
それは男が弱すぎたから。
男はドルチェ.ヴィータ無しで生きていけないほど彼女を愛してるのに、いつも恋人を見失う。
いつもドルチェ・ヴィータを見つける事ができるほど愛してるのに、いつもドルチェ・ヴィータを見失う。
そしてドルチェ・ヴィータは強すぎた。
彼女は男がいなくても強いから生きていける。
いつも見つけるのはドルチェ・ヴィータ。
男がいなくても生きていける強い女。
いつも見失うのは男。
彼女がいなくては生きていけない弱い男。
そう、強いのはディアボロ。
弱いのは男。
愛がなくても生きていけるのはディアボロ。
愛がなくては生きていけないのは男。
ならば、ディアボロは男の前から去ればいい。
何度もくり返しあらわれなくていい。
なのにディアボロはくり返しくり返し男を見つけ、その前に美しいドルチェ・ヴィータ己の化身を差し出し続ける。
いつか、男が強くなり、ドルチェ・ヴィータを男にとって必要な愛を見失わない日が来るのを願って。
何度も何度も、男が強くなるのを願って、姿をあらわす。
だけど、男が強くなる日は来ない。
ディアボロが欲しかったのはディアボロの愛にふさわしい強い男。
けれどディアボロの愛したのはディアボロの愛にそぐわない弱い男。
見た目に美しく強そうで、なのに愛を見失ってばかりいるうつけ者。
あきらめればいい、その男を。
必要のない男を。
欲しいのは強い愛。
なのに弱い男を愛したディアボロ。
ディアボロは強すぎて、人がいつまでも弱い事が理解できないんだろう。
いつまでも続くかなわぬ恋。
ディアボロは強すぎて、かなわぬ恋の辛さにも気付かない。
いつまでも続く何度もくり返される出会いと破局。
これはディアボロの悲しい物語。
だけどディアボロは最後に別の男をみつけた。
あれは、ただの気紛れか。
ちがう、ためしかたったのだ。
他の男の弱さを計る事で、己の恋した男ばかりが弱いのではないと。
別の男の前に姿をあらわすドルチェ.ヴィータ。
彼もまたドルチェ・ヴィータに目を奪われる。
当たり前だ。
ディアボロの化身、美しく強い女。
男がみんな虜になる女。
新たな獲物がドルチェ・ヴィータに目を奪われたすきに、ディアボロはみずから彼の可愛い恋人をたぶらかす。
彼もまたドルチェ・ヴィータの虜とするために。
そうだ、この男もドルチェ・ヴィータの虜にならなくてはならない。
男はみんな、弱くてドルチェ・ヴィータの虜にならなくてはならないのだ。
ディアボロの恋した男だけが弱いのでは悲しすぎる。
だから、男がみんな弱くて愚かならばいい。
男がみんな弱くて愚かなものならば、ディアボロの恋した男だけが弱かったのでなければいい。
お前も堕ちろ私のドルチェ・ヴィータの美しさに。
ディアボロは半ばこの新たな男もドルチェ・ヴィータに恋をして、そしてその恋を見失う弱い愚かな男だと確信している。
そう思いながらにこやかに、新たな獲物にその手を差し出す。
ディアボロは、なんと思ってその手を差し出したんだろう。
ドルチェ・ヴィータに心奪われた最初の男はドルチェ・ヴィータの影にいたディアボロには気付かなかった。
本当のドルチェ・ヴィータ=男を愛したディアボロの存在。
きっと、この新しい獲物も気付かない。
差し出した手にも気付かない。
そう思ったのに。
ディアボロは、この男も、自分に気付かないと思って手を差し出したのに。
手を握り返した。
この男は。
ドルチェ・ヴィータではなく、ドルチェ・ヴィータの奥にいる、ディアボロ自身を見つけて、手をとった。
そう、この男は強かったんだ。
本当の愛をディアボロを見つける事ができるほどに。
これで終わった。
もう、出会いも破局もくり返される事はない。
ディアボロは彼の愛にふさわしい男をみつけたんだ。
て、感じだったと思うんだけど。
どうかなあ。
でも私はこのショーはディアボロが主人公だと読んだんだけど、博多にはディアボロってキャラクターはいなかったそうなので、違うかもな。
オギーのショーなのに幸せに終わってたんで、今すっごい興奮してます。
すごいや、オギー。
幸せも表現できる人だったんだ。
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