花組公演「虞美人」の原作は「項羽と劉邦」と言うタイトルだそうで、私はそれを読んでいないのだが全くそうだと思います。
タイトルロールは虞美人ってなってるけど、この話は項羽と劉邦、二人の男の話だ。
二人の男と言うか、項羽激ラブの劉邦の話だったと思う。
オンリーワンになれなかったからナンバーワンになるしかなかった劉邦のせつないワンサイドラブなお話。
二人の男の人生を対比させているわけだが、実はこの二人相思相愛なんですよね。
相思相愛なのに運命のいたずらで敵同士になってしまったのね。
何しろ劉邦の死ぬ場面から芝居は始まりますが、劉邦は嫁を前にしながら項羽の名前を呼んでます。
ああ、嫁の立場がない。
嫁はひん死の夫に
「よくも浮気したわね〜
あんたの愛人どうなるかみてろよ〜〜」
的な恨み言を言うてますが、劉邦は項羽の名前を呼んでます。
ああ、愛人の立場がない。
もう冒頭から劉邦の項羽へのラブ全開ですよ。
さて、出会ってすぐに義兄弟の契りを交わす項羽と劉邦。
なんだ、あれ、なんだあれ。
お互い自分の手の甲切って、相手と腕を交わして相手の傷口をなめてます。
えええええ。
本当にあんな事してたのか、当時の中国人。
腐女子でなくても萌える見目良い場面です。
この時から二人のラブは始まっておるのですね。
ことあるごとに一々二人とも意味ありげにこの時の己の手を見ています。
相手が自分に口づけした手の甲を。
項羽なんか腕の中に虞美人抱いてる時に劉邦に舐められた手の甲見つめてるんですよ。
鼻息荒くなるわー。
この後、劉邦が項羽を裏切っても、項羽は義兄弟だからと劉邦を許します。
ずっと変わらず項羽は劉邦を裏切りません。
義兄弟として変わらぬ情を持ち続けます。
だからたぶん、劉邦の方が項羽を裏切らなければ、二人は相思相愛でいちゃいちゃらぶらぶの義兄弟として生きていけたと思うんですよ。
そして劉邦もそれで良かったんじゃないかと思う。
劉邦は
「誰も愛した事がない。
なのに人は自分のところへ集まって来る」
てな悲しげな歌をたからかに歌ってました。
彼は自分が項羽に執着してた事には気づいていたんだろうか。
たぶんその執着は愛と呼んで差し支えなかったと思うんだけど、気づいていたんだろうか。
項羽は劉邦の元へ集まって来た人間の中には入っていない。
だけど初めて出会った時から項羽は劉邦を義兄弟と認め、許し続けて来たのに。
たぶん劉邦が本当にのぞんでいたのは誰かのオンリーワンになること。
立身出世と利益だけを求めてむらがって来る自分を愛していない人間達に囲まれて、彼が望んでいたのは決して項羽に勝てない自分を認めてくれる誰か。
誰も彼もが、劉邦に言う。
項羽と劉邦、戦えば勝つのは項羽。
なのに誰も彼もがよってたかって劉邦を戦わせ、劉邦を勝たせる。
それぞれが自分の利益のために。
自分が勝ち馬に乗りたいがために、劉邦をたたかわせ劉邦を勝たせる。
誰も劉邦に戦いたいのかとは問わない。
誰も劉邦に勝ちたいのかとは問わない。
誰も劉邦の本当に欲しいものが何だかなんて斟酌しない。
自分を皇后にしろと言う嫁やら、今戦わないと次は勝てないと脅してくる部下達やら。
もしも劉邦が本当に強かったら、周囲の声に負けなかったと思う。
劉邦はきっとたぶん、項羽が決して自分を裏切らないとわかっていた筈だ。
周囲に何を言われても項羽は劉邦への情を貫く男だとわかっていた。
だから劉邦も項羽を裏切りさえしなければ良かったのに。
でも劉邦は項羽ほどには強く無かったから、周囲の声に負けて項羽を裏切ってしまう。
そして天下をとり、何よりも大事な項羽を失ってしまった劉邦。
主人公は項羽。
だけど項羽は一貫して強い。
他人の言葉に導かれることもないかわりに惑わされる事もない。
精一杯強く生きて誰も裏切らず誰もうらまず死んでいった。
対して劉邦は強さの下に常に弱さが見え隠れする。
そこにはドラマがあると思う。
劉邦の弱さは観ていて美味しい。
劉邦の心情を推察しながら観劇すると大変興味深いです。
話の流れはちょっと速すぎてついて行くの大変でしたが、登場人物の心理だけ追いかけて観ると楽しめました。
中国の歴史に詳しい方にはどうって事ないのかもしれないけど、部分的なエピソードは知ってる事がいくつもあったけど、全体的な歴史の流れをよくわかっていない私には話の展開についていけなくてな。
剣舞がかっこ良かったので、時間があったらもう何回かは観たかったな〜
☆
紫峰茶に行きました。
ファンからの質問で
「項梁と王翳を一人二役しているのは何か演出家の意図があってのことなのか?」
て言うようなのがあったのですが、紫峰さんはそれはないと思うと答えてました。
びっくり。
項羽の育ての父と項羽を打ち取る人間をわざわざ同じ役者にやらせてるのは、てっきり何らかの演出意図があるんだと思ったのに。
意味なかったのか。
桃娘を男役さんがやってるから、てっきり今回は役者に対して役の数が足りてないんだと思ってました。
なのにわざわざ最後に項羽を打ち取る二人は二役なんですよね。
てっきり何か意図があると思ってたのになー。
なかったのかー。
馬鹿の場面で紫峰さんが正直者の役をやっています。
あれは最初紫峰さんがやるって決まってたわけじゃないんだって。
仕草(とか顔芸とか?)が面白いからって紫峰さんになったんだって。
・・・もしかして演出家好みの役者って事なのかな。
だったら二役なのもそのせいかしら。
項羽が項梁を守る場面、あれは項梁がセンターなんだそうです。
司会者さんが
「ずれたわけではなくて?」
と確認するのに項梁がセンターなんですよと訴えてました。
役的には項羽よりも項梁の方がえらいもんね。
トップスターさんがセンターってよりも、役の立場的にえらい方がセンターって事になってるらしいです。
王翳も銀橋でセンターで台詞しゃべってるし。
ちょこっとついてるショー場面でもセンターにいらっしゃるので、今回センターが多いってなお話をされていました。
そして紫峰さんのお母様がショーのところで紫峰さんをみつけられずに
「上手?下手?」
と問うのに
「中央」
と答えたところお母様から
「ありえないわよ、そんな事!」
と言われてしまわれたそうでございます。
☆
仕事も終わらのに何故私はこげな冗文を書き散らしておるのか。
ていうか紫峰茶行ってたんか!
仕事終わってないどころか進んでないのに!
て感じの今日この頃。
いいんだよ、仕事ばっかりしてたら心が折れるんだよ・・・・・。
ちょっとくらい息抜きさせておくれよう・・・・・。
3月はひたすら仕事してたら終わりました。
もうちょっと(ちょっとじゃないけど。青顔。)お仕事まみれ〜〜
タイトルロールは虞美人ってなってるけど、この話は項羽と劉邦、二人の男の話だ。
二人の男と言うか、項羽激ラブの劉邦の話だったと思う。
オンリーワンになれなかったからナンバーワンになるしかなかった劉邦のせつないワンサイドラブなお話。
二人の男の人生を対比させているわけだが、実はこの二人相思相愛なんですよね。
相思相愛なのに運命のいたずらで敵同士になってしまったのね。
何しろ劉邦の死ぬ場面から芝居は始まりますが、劉邦は嫁を前にしながら項羽の名前を呼んでます。
ああ、嫁の立場がない。
嫁はひん死の夫に
「よくも浮気したわね〜
あんたの愛人どうなるかみてろよ〜〜」
的な恨み言を言うてますが、劉邦は項羽の名前を呼んでます。
ああ、愛人の立場がない。
もう冒頭から劉邦の項羽へのラブ全開ですよ。
さて、出会ってすぐに義兄弟の契りを交わす項羽と劉邦。
なんだ、あれ、なんだあれ。
お互い自分の手の甲切って、相手と腕を交わして相手の傷口をなめてます。
えええええ。
本当にあんな事してたのか、当時の中国人。
腐女子でなくても萌える見目良い場面です。
この時から二人のラブは始まっておるのですね。
ことあるごとに一々二人とも意味ありげにこの時の己の手を見ています。
相手が自分に口づけした手の甲を。
項羽なんか腕の中に虞美人抱いてる時に劉邦に舐められた手の甲見つめてるんですよ。
鼻息荒くなるわー。
この後、劉邦が項羽を裏切っても、項羽は義兄弟だからと劉邦を許します。
ずっと変わらず項羽は劉邦を裏切りません。
義兄弟として変わらぬ情を持ち続けます。
だからたぶん、劉邦の方が項羽を裏切らなければ、二人は相思相愛でいちゃいちゃらぶらぶの義兄弟として生きていけたと思うんですよ。
そして劉邦もそれで良かったんじゃないかと思う。
劉邦は
「誰も愛した事がない。
なのに人は自分のところへ集まって来る」
てな悲しげな歌をたからかに歌ってました。
彼は自分が項羽に執着してた事には気づいていたんだろうか。
たぶんその執着は愛と呼んで差し支えなかったと思うんだけど、気づいていたんだろうか。
項羽は劉邦の元へ集まって来た人間の中には入っていない。
だけど初めて出会った時から項羽は劉邦を義兄弟と認め、許し続けて来たのに。
たぶん劉邦が本当にのぞんでいたのは誰かのオンリーワンになること。
立身出世と利益だけを求めてむらがって来る自分を愛していない人間達に囲まれて、彼が望んでいたのは決して項羽に勝てない自分を認めてくれる誰か。
誰も彼もが、劉邦に言う。
項羽と劉邦、戦えば勝つのは項羽。
なのに誰も彼もがよってたかって劉邦を戦わせ、劉邦を勝たせる。
それぞれが自分の利益のために。
自分が勝ち馬に乗りたいがために、劉邦をたたかわせ劉邦を勝たせる。
誰も劉邦に戦いたいのかとは問わない。
誰も劉邦に勝ちたいのかとは問わない。
誰も劉邦の本当に欲しいものが何だかなんて斟酌しない。
自分を皇后にしろと言う嫁やら、今戦わないと次は勝てないと脅してくる部下達やら。
もしも劉邦が本当に強かったら、周囲の声に負けなかったと思う。
劉邦はきっとたぶん、項羽が決して自分を裏切らないとわかっていた筈だ。
周囲に何を言われても項羽は劉邦への情を貫く男だとわかっていた。
だから劉邦も項羽を裏切りさえしなければ良かったのに。
でも劉邦は項羽ほどには強く無かったから、周囲の声に負けて項羽を裏切ってしまう。
そして天下をとり、何よりも大事な項羽を失ってしまった劉邦。
主人公は項羽。
だけど項羽は一貫して強い。
他人の言葉に導かれることもないかわりに惑わされる事もない。
精一杯強く生きて誰も裏切らず誰もうらまず死んでいった。
対して劉邦は強さの下に常に弱さが見え隠れする。
そこにはドラマがあると思う。
劉邦の弱さは観ていて美味しい。
劉邦の心情を推察しながら観劇すると大変興味深いです。
話の流れはちょっと速すぎてついて行くの大変でしたが、登場人物の心理だけ追いかけて観ると楽しめました。
中国の歴史に詳しい方にはどうって事ないのかもしれないけど、部分的なエピソードは知ってる事がいくつもあったけど、全体的な歴史の流れをよくわかっていない私には話の展開についていけなくてな。
剣舞がかっこ良かったので、時間があったらもう何回かは観たかったな〜
☆
紫峰茶に行きました。
ファンからの質問で
「項梁と王翳を一人二役しているのは何か演出家の意図があってのことなのか?」
て言うようなのがあったのですが、紫峰さんはそれはないと思うと答えてました。
びっくり。
項羽の育ての父と項羽を打ち取る人間をわざわざ同じ役者にやらせてるのは、てっきり何らかの演出意図があるんだと思ったのに。
意味なかったのか。
桃娘を男役さんがやってるから、てっきり今回は役者に対して役の数が足りてないんだと思ってました。
なのにわざわざ最後に項羽を打ち取る二人は二役なんですよね。
てっきり何か意図があると思ってたのになー。
なかったのかー。
馬鹿の場面で紫峰さんが正直者の役をやっています。
あれは最初紫峰さんがやるって決まってたわけじゃないんだって。
仕草(とか顔芸とか?)が面白いからって紫峰さんになったんだって。
・・・もしかして演出家好みの役者って事なのかな。
だったら二役なのもそのせいかしら。
項羽が項梁を守る場面、あれは項梁がセンターなんだそうです。
司会者さんが
「ずれたわけではなくて?」
と確認するのに項梁がセンターなんですよと訴えてました。
役的には項羽よりも項梁の方がえらいもんね。
トップスターさんがセンターってよりも、役の立場的にえらい方がセンターって事になってるらしいです。
王翳も銀橋でセンターで台詞しゃべってるし。
ちょこっとついてるショー場面でもセンターにいらっしゃるので、今回センターが多いってなお話をされていました。
そして紫峰さんのお母様がショーのところで紫峰さんをみつけられずに
「上手?下手?」
と問うのに
「中央」
と答えたところお母様から
「ありえないわよ、そんな事!」
と言われてしまわれたそうでございます。
☆
仕事も終わらのに何故私はこげな冗文を書き散らしておるのか。
ていうか紫峰茶行ってたんか!
仕事終わってないどころか進んでないのに!
て感じの今日この頃。
いいんだよ、仕事ばっかりしてたら心が折れるんだよ・・・・・。
ちょっとくらい息抜きさせておくれよう・・・・・。
3月はひたすら仕事してたら終わりました。
もうちょっと(ちょっとじゃないけど。青顔。)お仕事まみれ〜〜
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