2011年を振り返って
2011年12月30日 日常仕事
2011年に私の漫画が掲載された雑誌は81誌でした。
不景気はきついけど、そのおかげで再録がすごかったです。
書き下しより再録の方が安くあがるからなんですが、私にはこれはありがたかった。
単行本が出ないジャンルだから、再録でもしてもらえないと過去作を読んでもらえる機会がないので。
どこもそうでしょうが、レディコミ業界も不景気の嵐が吹きまくってます。
どうにかこうにかお仕事いただけてありがたかったけど、これが来年も同じようにお仕事もらえるかどうかって本当にわからない。
今年どうにかすごせたので、来年もどうにかすごせるといいなと思います。
いつか咲く花の連載を私はいつまで引っ張る気なのか。
なんだか雰囲気的にいつまででも描いててよさそうな感じです。
もちろん私の気のせいで、いきなり打ち切りを言われる可能性は常に否定できませんけども。
とっくに終わってる筈の連載なので、あとはもうどかどか話たためば終われるんだけど、描いてれば描いてるほど色んなエピソードや設定を思いついてしまうからいつまでも終れないですよ。
こんな長くなるんだったら、東雲もうちょっと生かしておけば良かった。
(東雲死んだ時点では、その後一年以上連載が続いてるとは思ってなかったんだ・・・)
小川家で味方作るんじゃなかった。
(あの時点で以下略)
もうちょっとおつきあい下さい。
(ちょっとってあと何回のつもりなのか)
・・・でも、いつか咲く花をどかどか話たたんで、途中で終ってる「花を咲かそう」の続きを描いたりいきなり連載が終ったので慌てて話たたんだ「赤い花白い花」の光と美影の愛憎劇を再開させてもらったり銭鬼の続きを描いたりとか、そういう方向でどうかと交渉する手もあるんだよなーとも思ってしまいます。
(全部銭話か)
(そして全部他誌掲載連載とシリーズか)
(現実にそんな交渉を編集さんに持ちかけたら、編集さんから見た私の漫画家としての立場があからさまになりそう。・・・たぶんやらない。ていうかそんな交渉する度胸がない。)
不景気なので先の事がわかりませんが、お仕事いただける内は1枚でも多く描きたい漫画を描けるよう頑張りたいです。
生活面
仕事以外何をした覚えも無い感じ。
宝塚から冷めてから新しい何にはまるでもない。
観劇は好きなのだけど、田舎にいると劇場までが遠いから腰が重くなります。
ゲームには興味があるけど時間がないから手がのびない。
読書したいけど睡眠の方が魅力的。
肥満は怖いが病気もなく、不景気だが仕事にはありつけてる。
何事もない一年でした。
☆
震災の事しか思い出せない。
私は広島にいて、震災の影響は受けてないのだけど。
私は原発には素人で、素人があれこれ言うと渦中の人達に良い影響などないと思う。
わかってる。
だから言うべきじゃないけど、思う事をやめられない。
友達が福島で幼い子供を育てている。
友達は福島で子供を育てて行くと決めた。
私は福島の子供には疎開して欲しいと思ってる。
だけど、福島で子供を育てて行くと決めた人達がいる中で、素人がそれを声高に言うのは彼らの耳にどう届くのだろう。
疎開して欲しいと言う声と、安全だと言う声と、そのどちらもが渦中の人達には毒にも薬にもなるのだろう。
現時点で安全かどうかはっきりわかってる人などいるのだろうか。
安全ならいい。
でも安全でなかったら?
その答えが出る頃に私は疎開して欲しいと声高に叫ばなかった事を後悔しているのだろうか。
そうでなければいいがと願う。
子供には疎開して欲しい。
でもそれを大きく口にしていいのかどうかわからない。
もしも友達が疎開したいというなら、私は力になりたいしなるだろう。
だけど友達以外の人が助けを求めていたとしても、私は何もしないだろう。
誰かに手を差し出した時に、強い力で引きずられて倒れるかもしれないのが怖いから。
誰かに手を差し出す時に必要な覚悟を私は友人のためにしか用意できない。
友達のためにしか覚悟を用意できない人間に何かを言う資格はあるのか。
平和な国で安全に生きていると信じていた。
それが思い込みだったと知ってしまった。
国を愛しているなんて考えた事がなかった。
愛国心が戦争に通じたと国歌国旗を否定するかのような学校教育を受けて育った。
それでも国が傷つき国に不信を抱いた時に思った。
きっと人は子が母親を愛するように、ただその国に生まれ育ったと言うだけで故国を愛するものなのではないだろうか。
人の心が変わるさまも恐ろしかった。
震災の前に放射能が安全だと誰が言っていただろう。
震災の前に多くの人が放射能をどう思っていただろう。
チェルノブイリを日本人はどう語っていただろう。
色んな事を考えた。
考えている。
答えはまだ出ない。
一生出ないのかもしれない。
でも考え続けていきたいと思う。
2011年に私の漫画が掲載された雑誌は81誌でした。
不景気はきついけど、そのおかげで再録がすごかったです。
書き下しより再録の方が安くあがるからなんですが、私にはこれはありがたかった。
単行本が出ないジャンルだから、再録でもしてもらえないと過去作を読んでもらえる機会がないので。
どこもそうでしょうが、レディコミ業界も不景気の嵐が吹きまくってます。
どうにかこうにかお仕事いただけてありがたかったけど、これが来年も同じようにお仕事もらえるかどうかって本当にわからない。
今年どうにかすごせたので、来年もどうにかすごせるといいなと思います。
いつか咲く花の連載を私はいつまで引っ張る気なのか。
なんだか雰囲気的にいつまででも描いててよさそうな感じです。
もちろん私の気のせいで、いきなり打ち切りを言われる可能性は常に否定できませんけども。
とっくに終わってる筈の連載なので、あとはもうどかどか話たためば終われるんだけど、描いてれば描いてるほど色んなエピソードや設定を思いついてしまうからいつまでも終れないですよ。
こんな長くなるんだったら、東雲もうちょっと生かしておけば良かった。
(東雲死んだ時点では、その後一年以上連載が続いてるとは思ってなかったんだ・・・)
小川家で味方作るんじゃなかった。
(あの時点で以下略)
もうちょっとおつきあい下さい。
(ちょっとってあと何回のつもりなのか)
・・・でも、いつか咲く花をどかどか話たたんで、途中で終ってる「花を咲かそう」の続きを描いたりいきなり連載が終ったので慌てて話たたんだ「赤い花白い花」の光と美影の愛憎劇を再開させてもらったり銭鬼の続きを描いたりとか、そういう方向でどうかと交渉する手もあるんだよなーとも思ってしまいます。
(全部銭話か)
(そして全部他誌掲載連載とシリーズか)
(現実にそんな交渉を編集さんに持ちかけたら、編集さんから見た私の漫画家としての立場があからさまになりそう。・・・たぶんやらない。ていうかそんな交渉する度胸がない。)
不景気なので先の事がわかりませんが、お仕事いただける内は1枚でも多く描きたい漫画を描けるよう頑張りたいです。
生活面
仕事以外何をした覚えも無い感じ。
宝塚から冷めてから新しい何にはまるでもない。
観劇は好きなのだけど、田舎にいると劇場までが遠いから腰が重くなります。
ゲームには興味があるけど時間がないから手がのびない。
読書したいけど睡眠の方が魅力的。
肥満は怖いが病気もなく、不景気だが仕事にはありつけてる。
何事もない一年でした。
☆
震災の事しか思い出せない。
私は広島にいて、震災の影響は受けてないのだけど。
私は原発には素人で、素人があれこれ言うと渦中の人達に良い影響などないと思う。
わかってる。
だから言うべきじゃないけど、思う事をやめられない。
友達が福島で幼い子供を育てている。
友達は福島で子供を育てて行くと決めた。
私は福島の子供には疎開して欲しいと思ってる。
だけど、福島で子供を育てて行くと決めた人達がいる中で、素人がそれを声高に言うのは彼らの耳にどう届くのだろう。
疎開して欲しいと言う声と、安全だと言う声と、そのどちらもが渦中の人達には毒にも薬にもなるのだろう。
現時点で安全かどうかはっきりわかってる人などいるのだろうか。
安全ならいい。
でも安全でなかったら?
その答えが出る頃に私は疎開して欲しいと声高に叫ばなかった事を後悔しているのだろうか。
そうでなければいいがと願う。
子供には疎開して欲しい。
でもそれを大きく口にしていいのかどうかわからない。
もしも友達が疎開したいというなら、私は力になりたいしなるだろう。
だけど友達以外の人が助けを求めていたとしても、私は何もしないだろう。
誰かに手を差し出した時に、強い力で引きずられて倒れるかもしれないのが怖いから。
誰かに手を差し出す時に必要な覚悟を私は友人のためにしか用意できない。
友達のためにしか覚悟を用意できない人間に何かを言う資格はあるのか。
平和な国で安全に生きていると信じていた。
それが思い込みだったと知ってしまった。
国を愛しているなんて考えた事がなかった。
愛国心が戦争に通じたと国歌国旗を否定するかのような学校教育を受けて育った。
それでも国が傷つき国に不信を抱いた時に思った。
きっと人は子が母親を愛するように、ただその国に生まれ育ったと言うだけで故国を愛するものなのではないだろうか。
人の心が変わるさまも恐ろしかった。
震災の前に放射能が安全だと誰が言っていただろう。
震災の前に多くの人が放射能をどう思っていただろう。
チェルノブイリを日本人はどう語っていただろう。
色んな事を考えた。
考えている。
答えはまだ出ない。
一生出ないのかもしれない。
でも考え続けていきたいと思う。
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