ごめんなさい。
 イジメから逃げる方法とタイトルをつけたのは、そういう検索をしそうな人の目にとまるようにと考えての事です。
 これはイジメから逃げる方法を書いた文章ではありません。

 私が、逃げられなかった話です。

 私は高2の頃、隣のクラスの女子三人組に毎日弁当を取り上げられて投げ回されてました。

 1年の頃は同じクラスのオタク仲間二人と三人でお弁当を食べてました。
 2年になってオタ友二人と校舎が離れ、同じクラスにはいっしょに弁当を食べるような友達はいませんでした。
 でも平気だった。
 図書室がオタクのたまり場になってて、1年の頃から教室で弁当を早食いして図書室にかけつけるような昼休憩をすごしていたからです。
 私は弁当を1分かからずかき込むような女子高生でした。
 2年でも一人で弁当を早食いして図書室に行くだけの事でした。

 2年で隣のクラスに1年で同じクラスだった二人がいました。
 もう一人は1年でいっしょだったかどうか覚えていません。
 その三人組に彼女らの教室でいっしょに弁当を食べようと誘われました。
 誘われたので何回かはいっしょに食べましたが、話も気もあわない。
 いっしょにいて気詰まりでした。
 三人組からは
「庭ちゃんが一人でお弁当を食べてるから、声かけてあげなくちゃ。
 なんて親切で優しい素敵な私たち。きゃは☆」
 ていう心情が透けてました。
 的外れな同情は大変居心地悪いものでした。
 何度かはつきあいましたが、昼はオタクの集う図書室に行きたいからと三人組と弁当を食べるのを断りました。

 断った翌日昼休憩、手を洗って教室に戻ると、Aが私のカバンから弁当を抜き出し
「テヘ」と笑って逃げました。
 弁当を取り返そうとするんですが、Aは弁当をBやCに放り投げてパスします。
 私が弁当を取り返しにBやCに駆け寄ると、彼女らは私が近づくまで待ってから弁当を他の二人に投げてパスします。
 三人掛かりで弁当を投げ回されて、取り返す事ができません。

 彼女らの目的は
「素直じゃない庭ちゃんが一人でお弁当食べるなんて可哀想な事するのはやめさせなくちゃ。きゃは☆」
 三人組は私が嫌いで憎くて弁当を取り上げていたんじゃありません。
「親切で素敵な私たち」でいるためには「一人で弁当食べてる可哀想な庭ちゃん」とお弁当を食べなくてはならない。
 そこに彼女らの満足感は重要な事でしたが、私がどれほど惨めで辛かったかは彼女らには思考の外だったのです。

 それから毎日弁当を取り上げられて投げ回される日々が始りました。
 
 手を洗いに行ってるスキにカバンから弁当をとられる。
 弁当を取り上げられないように手を洗いに行く時も弁当を持っていっても、相手が三人なのでとられて投げ回される。
 弁当を取り上げられないように、4時間目が移動教室の時は家庭科室や美術室にも弁当を持って行きましたが、相手が三人なのでどうしたって盗られてしまう。
 私の弁当を三人が投げ回すのは、三人が手を洗い終わるまで私が弁当を食べられないようにするためです。
 そして三人が手を洗い終わるまでずっと走らされた私は動けなくなって隣のクラスに引きずられていきます。

 弁当を前に怒りで泣きながら食べずにいると、Bが私の弁当を広げ、食べろと言います。
 食べずにいるとBが素手で私の箸を出し握りしめ、私のほほを箸でぐりぐりえぐりながら
「食〜べ〜て。
 食〜べ〜〜て。」
 とにこにこ笑っています。
 泣きながらBに握りしめられた箸で私が弁当を食べると、やったあやったあ食べた食べたと手を叩いてはしゃいでました。
 お前らなんか友達じゃない、いっしょに弁当を食べたくない。
 そういって泣いてる人間を前に楽しそうに弁当を食べてた三人組の心情が、今もわからない。

 毎日そんな状況でお昼を食べていた。

 逃げるなんて思いもよらなかった。
 毎日三人に
「お前らなんか友達じゃない。
 弁当泥棒。
 他人の弁当取り上げて投げ回すやつらを友達だなんて呼ぶわけがないだろう!」
 と泣き叫ぶのですが、可哀想で素直じゃない庭ちゃんに親切を施してる三人組は私が泣き叫んだってかまわないのです。
 彼女達には無理矢理私の意思を無視して私の心をズタズタに踏みにじってでも、私といっしょに弁当を食べるのが正義だったのです。
 いいえ、彼女らにしてみれば、わざわざ隣のクラスからお弁当に誘ってあげてるのに断って一人で弁当を食べたいと言う私の事が理解出来なかったのでしょう。

 人間って多勢に無勢になって自分たちが正義だって言い張れる時には、とことん醜悪になれるんだとあの頃知りました。

 三人組のやってた事はイジメでしかないと今なら思います。
 三人組は
「一人で弁当食うなんて淋しいが〜〜
 うちら友達じゃろ?」
 ばかり言うので話にならない。
 笑顔の三人組は
「優しい善意の私たち」
 で押し通してきて、私の話をちっとも聞かない。
 会話が成り立たない。
 意思なんか疎通しない。 
 私は、三人組に人間の思考回路が無い事に途方に暮れるばかりで、三人がやってるのがイジメだと当時は気付いていませんでした。

 全く罪悪感無く笑顔で他人を踏みにじって喜ぶ人間複数にかこまれて餌食にされてる時というのは、思考もマヒしてしまうんだと思う。
 他人を踏みにじって喜ぶなんて、最低な人として間違いきった人間に囲まれて異口同音に
「私らの言いなりになりやがれ。
 可哀想なお前と遊んでやってる親切な私たちに逆らうな。
 お前は可哀想な人間で、私らは優しい出来た人間だから善意を施してやってるんだから、逆らわずにありがたがって喜べ。
 喜ばないお前が間違ってる」
 って言われ続けるんだよ。

 踏みにじってるも踏みにじられてる方もどっちもまだ10代の子供なら、何が正しくて何が間違ってるかなんて、わからなくなってしまう。
 
 子供が、学校なんて閉鎖社会で、子供からイジメを受けたら、逃げられない。
 そもそも逃げるなんて事も考えられなくなる。
 それがイジメだと思う。 

 自殺するくらいなら逃げればいいて言うのは簡単だけど、それが言えるのはイジメられた経験の無い人だと思う。

 逃げられないんだよ。

 逃げるなんて事が、そもそも考えられなくなるくらい心を踏み荒らされてボロボロにされる。
 生きてる事がただ辛い。
 生きてたい。
 世の中には楽しい事がいっぱいあるのを知識として知ってる。
 大人になって手にしたい色々な経験がある。
 将来が夢と希望に満ちている。
 それでも今が辛くて死ぬ事が一番マシに見えてしまうのが、イジメられてる子供から見える世界になるんだと思う。

 イジメられてる子供は逃げられない。
 何故なら「逃げる」って事が考えられなくなっているから。

 イジメの餌食になった子供は、自分じゃ逃げられない。
 
 逃げられたとしたら、それは本当に強くて賢い子供だと思う。

 私は無理だった。
 私は逃げられなかった。







 でも、この毎日は高校卒業したら終わった。

 一瞬でしたけどね。
 三人組の二人は進学で他県に出たのでその間は音信不通になり、私には平和が戻りました。
 その後二人が福山に戻って就職して、それから「私たちはお友達」攻撃が再開するのだけど、それはまた別の話。
 そして終わった話。
 一人は卒業後音信不通になりました。

 とりあえず、卒業したら終わった。
 
 それに三人組の餌食になってた時期は辛かったけど、一年の時は普通に友達いたしクラスもいい雰囲気で楽しかったです。
 
 この一年の時の同級生に世話好きの子がいて、今もその子が声かけてくれるんで盆暮れ正月あたりには飲み会があります。
 三人組に踏みにじられただけだったら、私の高校生活の思い出は例え一年の頃がどんなに楽しくても暗黒の闇歴史だったと思う。
 でもその後、三人組との連絡は途絶えた。
 今は楽しかった一年の頃の友達との連絡が続いてる。
 連絡をくれる友達はHちゃん。
 お互い一年の頃はいっしょにお弁当食べる友達は別にいたし、今もそんな仲良しでもないんだけど。
 Hちゃんと今も続いてる細い縁が、細い縁をいつまでも大事にしてくれるHちゃんの存在が、三人組に踏みにじられた私の高校生活の地獄の記憶にゆっくりゆっくり時間をかけて楽しかった一年の頃の思い出をのせていってくれてる気がする。

 三人組の醜悪な顔は一生忘れないが、どうでもいいように思う。
 Hちゃんとたまに会う時のHちゃんの笑顔が大事で嬉しいから、そういう人がいてくれるから、いてくれたから、三人組がどうでもいいと思えるようになったんだと思う。

 最近になってHちゃんに一年の頃は楽しかったけど、二年からは学校に行くのが辛かった話をしました。
 Hちゃんは三人組と私が仲がいいとばかり思っていたそうで、驚いていました。
 毎日三人組は廊下やお互いの教室で私の弁当を奪い投げ合っていた。
 私は怒り狂ってたけれど、三人組はとても楽しそうにしていたから、私に関心の無い人にしてみれば、何が起きていたのか気付きもしなかったのだろう。
 



 三人組に弁当を盗られ投げ回されていた頃、高校の昼休憩は辛かったけど、私には他に場がありました。
 同人誌をやってたので漫画仲間がいたし、バイトをしててバイト先には同じ学年で他校の高校生バイトが何人もいた。
 幼馴染みは違う高校に行ってたけど塾の帰りには私の住んでるアパートに寄ってくれて、毎日のように漫画の話ばかりしてた。

 私には生活の中心の高校生活を踏みにじる三人組がいたけれど、他にもつながってる人がいた。

 だから、三人組のいた2年間をどうにかしのげたんだと思う。








 イジメられてたら、どうにか、友達を作ればいいがと思います。
 学校でイジメられてるなら学校以外で。
 出来るものなら学校ででも。

 世界には他人を踏みにじって喜ぶ醜悪な人間ばかりじゃない。
 人間を人間としてあつかってくれる人はたくさんいる。

 世界には人で無しもいるけれど、まっとうな人間は人で無しよりたくさんいると思います。
 
 イジメられてる時には、イジメられない場所、イジメられない人間関係の有無は大きいと思う。
 自分が人間として扱ってもらえる場所があるなら、無いよりはずっとたえられると思う。


 そしてもし、イジメられてる人がいたら、その人は自分じゃ逃げられません。
 だから、その人がされてるのがイジメだから、逃げた方がいいって言ってあげて欲しい。

 私にとって、三人組に虐げられてた2年間の他校の同人友達の存在はすごく大きかった。
 特に幼なじみ。
 会話が成立する友達の存在が、イジメられてる時にどれほど支えになった事か。

 私はイジメられてると認識してなかったから、イジメの話をしてなかったけど、あの頃自分がおかれた辛い立場を説明すれば助けてくれた人はたくさんいたと思います。
 
 今ならいくらでも思いつける。
 あの先輩なら、あの先生なら、あの人なら、助けてくれたかもしれない。
 高校とは全く無関係だけど、同人誌即売会で知り合った人には大人もたくさんいた。
 大人といっても高校生の私に比べて数歳上なだけだったけれども、相談すれば何か解決策の知恵をくれたかもしれない。

 でもイジメだと思ってなかったあの頃は助けを求める事すら考えつかなかった。
 どうにか三人組とマトモに仲良くなりたいと、そちらに心を砕いてました。
 三人組が喜ぶので同人誌即売会でしか入手出来ない人気作家の同人誌を貸してあげたりもした。
 私は間違ってた。
 私を見下してる人間を喜ばせようと努力したら、人で無しはつけあがるだけなのに。
 すさまじく迷惑な言葉の通じない三人組に友情の押し売りをされて毎日が辛い。
 そう認識していたので、他人に相談するほどの事だと思っていなかった。
 自分でどうにかするべき問題だと思ってた。




 ここまで書いて思ったけど、この文章は今イジメられてる人にと思ってかいています。
 でもイジメで検索してこの文章にたどり着いたのだとしたら、イジメられてる自覚はあるのかな。
 今、自分がいる状況がイジメなのではないかと疑っているのかな。
 だったら逃げて下さい。
 他人が罪悪感も無くただの楽しみであなたの生活か人格か心か、あなたの大事なものを踏みにじり続けているのなら、逃げて下さい。
 私は逃げなかったけど、それは逃げる事を思いついていなかったからなだけです。
 あの時誰かに助けを求めて逃げられていたら、その後何十年も三人組への怒りを心にくすぶらせずに済んだだろうにと思います。


 どうすれば逃げ出せるのか。
 それはごめんなさい、わからない。
 人によってどういうイジメを受けてるか違うだろうし。
 それぞれの人間関係や、事情が絡むと思うから。
 誰かに相談できるといいがと思います。
 イジメられて辛い思いをしている時に、まだ人生経験の浅い10代の人が客観的に物事を見て分析して上手く考えるのは難しいと思う。
 
 自分でどうこうしようと思わずに、誰かに助けを求めた方がいいと思います。
 できれば、大人に。
 信頼出来て相談出来る大人が周囲にいないなら、児童相談所とか教育委員会とか、役所関係。
 話をする時は係の人の名前を聞いて下さい。
 役所の人が皆親切な対応をしてくれるとは限らないと思います。
 これはダメだと思ったら違う役所の違う係の人に相談して下さい。
 イジメの内容によっては警察でもいいと思う。

 一人では立ち向かわない方がいいように私は思います。
 
 何故なら、一人で立ち向かったとした時に私は最悪の結果を予想してしまうからです。

 できれば、誰かに相談して下さい。

 「イジメ 相談」で検索したら相談受付の電話番号がいくつもヒットしました。
 どこかの誰かが話を聞いてくれるかもしれない。
 
 見ず知らずの人間を助けようと思う人なんかいないと考えてしまうかもしれません。
 辛くて苦しい時に誰かに助けてもらった事がある人や、辛くて苦しい時に見ず知らずの誰でもいいから誰かに手を差し伸べて欲しかった人はたくさんいると思う。
 身近な人が苦しんでる時に気付けずにいて「あの時助けてあげたかった」と後悔してる人もたくさんいると思う。
 そんな過去など何もなく、単に困っている人を助けるのが当たり前の事だと思ってる人ももっともっとたくさんいると思う。
 
 


 イジメの話を耳にして、色々思う事があります。

 私は漫画家なので、漫画でフィクションでイジメをテーマに描くべきじゃないかと思います。
 正直こうして文章を書いていても、上手く書けない。
 この文書を読んでる人に私の考えが伝わるかどうか自信もありません。
 まだイジメをテーマに漫画を描いた方が、ブログを書いてるよりも読みやすい物を描けるんじゃないかとも思います。


 ブログに書くより、商業誌に漫画で描いた方が多くの人に読んでももらえるだろうとも思います。

 でも私が仕事してる雑誌は読者に主婦を想定している場合が多くて、私が今考えてる事を語りがけたい世代の人には届かないかなと思ってブログに書いてみました。
 
 さて、こんなカウンターの回らないブログに私が今語りかけておきたいと思うような人がたどり着いてくれる確率はとても少ないとは思いますが、それでも、高校生の頃の私に語りかけておきたかった事を書いておこうと思いました。



 私は幸せになりましたよ。
 結婚もしてないし、独身だけど、やりたい仕事をして自分の稼ぎで食べていけています。
 自分の力で生きていけるようになった今なら、高校の頃にどうする事も出来なかった事も、どうにかできるようになった気がします。
 10年20年と長く生きていれば、知恵もつくし人間関係もどう対処すればいいか経験が出来てきて、だんだん生きやすくなっていけます。
 高校の頃の事は今も忘れないし、一生忘れられないだろうけど、毎日が忙しいとどうでもよくなっていきます。
 過去は忘れられないし、苦しかった事は消えない。
 でも目の前の現在を生きていると、過去の出来事の苦しさは消えはしないけれども、今の幸せに影を落とすほどの影響力は持たなくなって行くのです。

 今の苦難は永遠に続くように思えるけど、5年後10年後には違う苦難が立ちふさがってるかもしれなけれど、今目の前にある苦難は終わってる確率の方が高いと思う。

 辛い十代の数年があったとしても、努力して満たされた数十年を持てたなら、傷跡は消えなくても傷口から血が流れる事はなくなる。
 そこが傷であった事すら、意識しなくなっていけるのだろうと思います。
 そうして、生きていくと、いくつもの色んな事がらで、心にいくつも傷跡を作って行くのだろうとおもいます。
 そうして、塞がった傷跡の多い人ほど、他人を傷つけない人になれるのだと思います。

 私は他人を傷つけない人を値打ちある人だと思います。
 

 イジメられて辛くても、未来にある幸せを手放さないでくれればいいがと願います。

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