やめどき

2015年11月9日 日常
 自分のやめ時なんて私には決められません。

 アシスタントを5年やってる間、漫画家になれるなんてそもそも思って無かった。
 デビューしてからも食えなかったホラーを描いてた3年間。
 バイトもしてて、漫画の収入だけで生活がたてられるようになるなんて思ってもなかった。
 アシスタントになる一年前に、軽めの交通事故にあいました。
 打撲だけ(とは言っても、その時から私の左足は微妙に凹んで元に戻ってはないんだけど)で命に別状はなかったけど、それでも痛みに苦しんだ病院のベッドの上で
「人間いつ死ぬかわからないよなあ」
「どうせ漫画家になれないにしても、一度目指すだけは漫画家になるために努力しとこうかなあ」
 って思って、それから、漫画で生活出来るようになるまで、漫画で食えない状態で9年漫画を描いてました。

 その後運良くレディコミ漫画で嫁姑ジャンルが流行はじめた頃にそれ系の漫画を描いて食べていけるようになりました。

 私が漫画家をやめるとしたら、自分でやめ時を見計らうんじゃなくて、仕事がなくなった時だろうなあと思います。
 仕事がもらえなくなった時。
 自分で選んで決めるのではなくて、それは、読者さんが私の漫画を読むためにお金を使わなくなった時。
 編集さんがこいつの漫画は金にならないと見切りをつけた時。

 それでも、仕事がもらえなくなっても、私はしばらくはこの商売にしがみつくだろうなあと思います。
 知り合いに仕事はないかと聞いてまわり、編集さんに何でも描きますと頭を下げて、さて、漫画家で食べていけるようになるまでに9年描き続けた私は、漫画で食べていけなくなってから何年描くだろう。

 私のやめ時は私には選べない。





 だから、好きな舞台俳優さんが
「昔から、やめる時の事を考えていた」
「これ以上の演目はない、今だと思った」
 と言う話をなさって、そういう生き方があるんだと、美しい生き方だと目から鱗が落ちました。
 どういう生き方を選ぶかは人によるし、職業にもよるんだろうし、それが良いでも悪いでもないけれど。

 美しいな、と思いました。

 そして私は、もうすぐ、この美しい人を舞台の上で見る幸せを失うんだな、と。

 私はこの人の、そうした美しさに惹かれたようにも思うので、美しいままに笑顔で惜しまれて賞賛の場から去って行く人に、ただ、ただ夢を見せてくれてありがとうと思います。

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